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 澄み切った秋空の下、金木犀の香りが漂う中、私たち同窓生は学校側のご好意で、2年生の特別授業を参観しに文京高校の視聴覚教室にお邪魔しました。
 我らが大先輩、11期生の三遊亭圓窓師匠の講演と落語のはなしを伺うためです。

 講演と、落語のライブの授業は大成功でした。
 講演のテーマは、「落語と言語表現」でした。

 冒頭、圓窓師匠は、落語の起源とその読み方、意図するところについて触れました。「落語は、私たちが、コミュニケーションを取る際の3つの要素から成り立っています。それは、話す、聞く、思い描くの3つです。明治以降は、学問の基本と言うと、読み書き
そろばんと言って、文字を読み、文字を書きすることが基本になりました。
 しかし、コミュニケーションの基本は、話があって、それを聞き、その内容を思い描くことから成り立っています。それが、昨今は出来なくなってきた。“思い描く”と言うことはその“話し”の内容が“聞き手”との間に共有されて初めて成り立ちます。その為には、“話し手”と“聞き手”の“間”に共通の話された“世界”が共有されることが大切です。
 落語では、“はなし家”が、一人で何役も、身振り、手振りを小道具の扇子や湯飲みを使って話の“世界”を演じ分けます。“聞き手”はそれを聞きわけられなければ、話の世界に入っていけません。そこでは、“聞き手”にとって、相手である“はなし家”の演じている“世界”を“思い描いて”話について行かなければ“落語”という世界は成り立たないのです。ですから、話の世界を“思い描く”ためには、“はなし家”の目をしっかりと見つめて、“はなし家”が高座で演じ分けている“世界”を“思い描く”ことが出来た時に、“落ち”が分かって笑いが生まれるのです。“落ち”は言葉の遊びで、“落語”とは、“落ち”る話であり、日本語の豊かな表現力を基盤にして成り立っている“話芸”と言う、芸術なのです。 “落ち”が分かるためには、“話し手”と言う“人”と、“聞き手”と言う“人”との“間”に、言葉と声色、身振り、手振りなどを使って言語表現されたバーチャルな世界を、“思い描く”ことによって“共有”されなければならないのです。犬や猫には“思い描く”と言う“間”がありません。人の話を聞いても、“思い描けない”人には、話は見えませんし、話の面白さは伝わりません。皆さん、人のままではなく、人の話が分かり、“思い描け”る“人間”になりましょう。

 江戸時代からの歴史に属する話は割愛させていただきましたが、概要、圓窓師匠はこのような話をホワイトボードを使ってされました。

 この後、ライブが大切と言うことで、臨時に作られた「高座」に上がり、「つる」と言う「噺」を一席演じられました。ご隠居さんと八つあん、熊さんの軽妙な掛け合いのライブ落語に拍手喝采と笑いが視聴覚教室を包みました。

 その後、試しに高座に上って、「「つる」の一場面を演じて見ようと言う人はいませんか?」と言う呼びかけに、野球部2年生の金岡君と須藤君が実演してくれました。中々上手いので同窓会のOB一同感心しました。(拍手)最後に、梅本君から、圓窓師匠の小学校4年生の教科書に載っている「ぞろぞろ」と言うのはどんな話ですかという質問がだされ、概要を話していただきました。圓窓師匠、良いお話を有難うございました。また、星野校長先生ご配慮有難うございました。

 最後に、野球部の3人にお詫びが有ります。折角、良い写真が撮れて、HPにも掲載しようとしてSDカードから、PCに移す作業していて、移し終えたと思って、SDカードの写真を削除したところ誤って、オリジナルの写真データまで削除してしまいました。SDカードの不具合なのですが、注意不足で申し訳ありません。ここに掲載するのは、削除を免れたものです。                   
文責 会報部長 19期梶野茂男