1976年に卒業してから早30年が経ちました。元々は小生の実力では国立大学は厳しく、「授業料の高い下手な私立に入るよりはその授業料で生活費までカバー出来る外国の大学に留学してはどうか」との両親のアドバイスに新らし物好きの小生が二つ返事で賛同した訳です。最初は景色のきれいなカナダは、と漠然と考えていたところ日本に留学していたメキシコ人と知り合い、メキシコはどうだ、となりました。小生は、メキシコと言ってもさっぱり知識もなく「アメリカの下にあるなぁ」くらいに思っていました。しかし「メキシコ国立自治大学」はラテンアメリカで最も由緒ある大学(ハーバードより古い)でレベルも高い。また、英語を話せる日本人は多いがスペイン語を話せる日本人は希少価値だと友人に説得されました。更にメキシコシティーにある彼の実家に間借りさせて貰える、との事で比較的深く考えずにメキシコ留学を決めました。
最初は国立自治大学の外国人学校でスペイン語を習得、その後同大学経済学部を八三年に卒業。その間結婚し、一旦メキシコ人の家内を連れ帰国し、1年半ほど日本で仕事を見付け生活しました。しかし矢張り「日本の風」が合わず、メキシコに戻り、メキシコ住友商事等に勤務し、2001年日本海外貿易コンサル社を設立、現在に至ってます。 この30年間で本当に色々な事があった訳ですが、最近感じるのは、日本人は結構国際的ではないなぁ、と言う事です。歴史を見れば明らかかも知れませんが、長年島国で特に他国からの侵略も受けずにこれまで来たのですから「自分たちの力で国(の独立)を勝ち取った」と言う意識もありません。昔から「日本」と言う「国」があったように感じてしまいます。「国」と言う概念自体確固としたものではなく随分曖昧なものと思います。
ここ数年 Globalizationが日本でも話題になっているようですが、Globalization が進むと否応なく外国人と接する機会が増えます。国際的なセンスのない日本人駐在員などがメキシコ人から「頭は良いみたいだがなんて礼儀を知らんやつだ」と思われる事もあります。
在校生や後輩の方の参考にと思い述べると、皆さんも「常識」を頭から信じないで下さい。日本で言う「常識」は往々にして「日本でしか通用しない常識」です。 そして陳腐な言い方ですが世界に羽ばたいて欲しいと思います。勿論リスクもあります。しかしいずれ「日本は住みやすいし安全だから日本にとどまる」と言う考え方は通用しなくなります。日本も犯罪事件が増え世界の標準に近づきつつある訳です。日本を知る、また日本人を知る為には日本を外から眺める必要もあります。日本や日本人の良い所、悪い所を知って初めて国際的な(外国人と対等に話せる)日本人になる事が出来るのだと考えます。
卒業三十周年に紫筍に小生の稚拙な文章を載せて頂けるとの事で大変光栄に考えますが、メキシコ留学を決めたきっかけや大学時代の苦労などを書けとの事。そうなると連載記事にして頂く必要があるかも知れません。(勿論哲学的な定義はあるでしょうが)。卑近な例を挙げると、日本のインターネットのサイトでメキシコで発行された international credit card を使って買い物をしようとしても出来ません(少なくともこれまで小生が試した限りでは出来ません)。商品の送り先を父の実家にして支払いだけをメキシコの銀行で発行されたカードを使って購入しようとしても出来ないのです。「アメリカのサイトであれば何でも買えるのに、外国人が外国のカードで買い物する事をはなから全く頭にないんだ。」と気付きました。(日本語では「グローバリズム」と言ったりするようですが主義や主張ではなく、ある種の phenomenon ですから、「グローバリゼーション」が正しいと思います)世界中の多くの国で学校は安全な場所でもなければ、横断歩道で歩行者が渡ろうとしても車は止まってくれません。(警官は強盗団よりもっと怖いので前述のタクシー強盗事件も警察には届けませんでした)。
そして、卒業後 三箇月も経たない間にメキシコ留学した事より、今年で在墨 三十年と言う事です。その間、大学卒業後、既に結婚していた小生は試しに(?)事がありますが(あまり重要なファクターとも言えませんね)。 一~二年に一度くらい年老いた父親を訪れる為に里帰りする程度でもう日本の事が段々判らなくなってしまいました。(紫筍49号)
28期B組 伊藤亮