若林成佳

何をやっても大間違い

絵かきの俺様が会長している「市三会」とかいう会で会報の編集をしているのでなにかというと絵の話が出てくるが、みんな現代アートなんか知らないのに何故書くのかと問われれば、みんな知らないからか書いているんだよ。デタラメ書いても分からないからさ。こりゃ面白い。              新聞の美術欄を読んで現代アートの展覧会へ行くと全くへんてこりんなものが床においてある。よく見ると男根だったり女の秘所だったり、風俗紊乱罪で芸術家は逮捕されないから俺様も芸術家になったってなものさ。一度江東区の東京都現代美術館に行ってみたら勉強になるよ。東西線菊川駅より15分も歩くんで、建てられた当時にはアクセスが悪すぎる粗大ゴミなんて悪口を云われてた。新聞の批評なんかを読んでから行かないとナニガナンダカサッパリワカラナイノヨになって、帰る途中で酒かくらって悪酔すること請け合い。俺様は今は具象画を描いてるが、高校の時の出発点は前衛画。ロダンの考える人の頭をとったようなポーズの人物の油絵に「憂愁」なんていう題つけて、それでも高円寺の焼けの原のど真ん中にあった東京美術とかいうアトリエでデッサンを勉強して、そこの土味川独歩とかいう先生を親方にして10人ぐらいのグループ作って都美術館で展覧会をやったんだから全くいい気なもんだった。終戦直後の昭和22/3年頃の話だからカストリや宝焼酎(今の宝ではなく全く臭く、飲めば必ず吐くというシロモノ)をアトリエで飲んで管(くだ)巻いてデッサンとってたんだから、芸大なんか落ちるの当り前。家庭環境では絵かきなんて馬鹿にしていた商家だから、親父に一回で入らなかったら駄目と云われて浪人して慶大経済学部に入った。でも特待生だったから、就職は楽だと思ったら大間違い。8社受けても全然駄目。最後の社長面接で必ず落ちる。教授に推薦状を書いてもらいに行くと「教授推薦なんて全く役にたたないよ。なにかコネがないのかね」って云われても、ないものはないんだからしようがない。最後の面接で駄目というのは脚がビッコだからと諦めていたら、中小証券の社長の息子が同級で未だ決まらないのか、親父に話しとくよって云われて日立造船の社長に紹介されたんで、そこへ入れてもらえるのかと思ったら、これも大間違い。「江商(ごうしょう)」っていうルビふらなきゃ読めない商社を紹介され「ここは新三品相場(繊維、大豆、ゴム、皮革)で大損している会社だが関西系の腐っても鯛というとてもいい会社だから受けてみたまえ」なんて云われて大物の日立造船社長の松原与左松サマの名刺のウラに「ヨロシク頼ム」なんて書いてあったので入社できたが、小学5年の時かかった小児麻痺を恨めなんてそんなのあるかよ。その会社、朝鮮戦争の時、通産省の役人にいわれてオーストラリアから新三品を大量に輸入したら、なんと急に戦争終って相場が急落し大変な負債を背負ったバカ社長の会社だった。「腐っても鯛」の意味は社員のこと。社員は俺様を含めて東大、一橋、慶應と優秀なのにバカ社長が役人を信用したのがこれもまた大間違い。それでも10年間で覚えたのはすすめる話じゃないけれど商品先物相場の面白さ。月給の10倍は儲けたっけ。これだけはコタエラレナイ味だった。これで猟銃買ったのがまたまた大間違い。暴発して脚をぶった切られたのが幸いして余り目立つビッコをひかなくなったっていうのが話の落ち。           

 それから現代の話、今やアベノミクスとかいって黒田東彦氏を日銀の新総裁にして金融大緩和の音頭の下に10年物国債を毎月7兆円から10兆円も買って市中にお金をじゃんじゃん流したものだから、15年間うんともすんとも動かなかった株価が毎日毎日うなぎのぼりにあがって、アレヨアレヨという間に8千円ぐらいのところにいたものが何と1万5千円台までいって、また対ドルで円相場が円高の75円前後からなんと円安の103円近辺まで落っこちていった。この俺様も商社時代に習い覚えた相場の勘を取り戻し、株を買い、円を生活費と税金だけを除いてほとんどの円をドルに換え出したのが去年の4月頃だから76円近辺、5月24日の暴落の前々日に十年物国債の金利があやしい動きをしだしたので株は全部売り払い、ドルも円に買えて大儲け。これは大間違いではなかったかどうか、これからの暮らしぶりで答えが出るというもの、でした。  

 新制2期A組(昭和26年卒)、最終学歴 慶應義塾大学経済学部卒