千代田区役所の10階に食堂がある。
9階の千代田図書館に寄った時、昼食時に利用していた、現在はコロナ禍の為に、残念ながら閉鎖されている。
ある時、窓際に座り、清水門、北の丸公園を眺めていると、皇居の先の方に、見慣れた尖塔が見えた。
三角の頭部両端から垂直に降りる線、国会議事堂の尖塔だ、高層ビルの間にみえる。
これを見て思い出した。
高校生の頃、大塚駅のホームから、南の方を見ると、この尖塔が同じ様に見えた。
ということは、大塚駅のホームと千代田区役所10階の標高は、同じ!!
当時、大塚駅の南の方には、高い建物がなかったから、国会議事堂の尖塔が見えていた。
校舎の屋上からは、北東に筑波山が大きく見えていた。校舎と筑波山の間を遮るものは何もなかった。何せ関東平野だから、だだっ広い。
冬の澄み切った天気の日は、日光連山かな?と思う山々が見えた。
北西側には、奥武蔵の山々、右端に盟主武甲山がどっしりとした姿を見せていた、武甲山は、今の姿ではなく、削り取られる前の堂々たる山容だった。
北に上州の山々が見えたかは、覚えていない、東西方向は建屋が在って、見ることが出来なかった。
富士山は、大塚駅前を池袋の方に坂を上って、山手線を渡る橋から見ていた。
坂の途中に、角萬と言う結婚式場が在って、山手線沿線に角萬とはなんぞや、と書いた野立て看板をあちこちに立てていた、新婚夫婦をトヨペット.クラウンで東京駅まで送る、のが売り物だった。誰でもが車に乗れる時代ではなかったから、人気があったかもしれない。
あの頃は、高い建物がなく、ほとんどが2階建てで、高い建物は東電支社と駅前の旧白木屋(のちに住友銀行)ぐらいだった、屋上からは、周りの風景がよく見えた。
何しろ、池袋の西武百貨店のほとんどが2階建で、今のロフトがある部分が8階建だった、細長い建物だから、航空母艦と一部で言われていた。
8階の屋上からは、周りがよく見えた。高校を出たころ、全体が8階建になった。
昭和30年(1955年)前後はこんな風景だった。
9E 中村富秋