第27回 東京校歌祭

令和になって最初の東京校歌祭(第27回)が、昨年に続き、杉並公会堂で10月27日(日)に開催されました。

文京高校は、前日の同窓会の役員・常任幹事会に続いて連日の行事でした。

今回は、報告することが沢山有ります。この校歌祭は「東京校歌振興会」が主催し
ており、文京高校は第2回目から参加しています。そして、今年は、文京高校同窓会名誉会長の杉本安弘氏が会長として挨拶をされました。校歌祭(文京高校)002

開会式では、例年通り、太鼓の連打に始まり、ブラスバンド部のファンファーレで始まります。今年は、文京がトップバッターとして、12時20分の開会式に続いて、30分から最初に出演しました。

これに先立って、今回は初めて、地下2階のグランサロンで練習をしました。まず、40期の安達陽一氏のピアノ伴奏で発声練習です。合唱の練習は本校音楽教諭に昨年着任されたOBの白井教諭が指揮すると言う豪華な組み合わせ3曲を10分あまり練習しました。

校歌祭(文京高校)001

校歌祭にはこれまでブラスバンドは参加していましたが、ブラスバンド部員が一昨年から加わり、合唱の陣容が現役生徒とOB・OGが一緒に校歌を歌うと言う新たなステージに発展しました。しかし、長年参加されてきた旧制3中OBや19期の梶野より古い先輩OB・OGの参加者が、高齢もあり減ってきていることは残念なことです。何しろ、この校歌祭の場は現役文京生と、OB・OGが一緒に参加して活動している、唯一の場なのですから。皆さんも是非、来年は誘い合って参加してください。

校歌祭(文京高校)004

合唱団の後ろに2枚の江戸紫の地に白く校章を染め抜いた、二つの校旗が有りま
す。向かって左側が、第三東京市立中学校の校旗です。横三本の白線は第三中を表わし
ています。校章は六角形の菊をかたどっており、現在の校章に受けつがれています。

最初の校歌は、「三中校歌」です。昭和15年創立と言う時代を感じざるを得ない歌詞が3番に有ります。その一部を引用すると「滅私奉公 ただ一筋に未来の日本 負い持つ民と 伸びて果たさん 負荷の大任」と有ります。人によっては、感情的に受け入れられない人もいると思います。しかし、それによって、歴史は変えられないのです。この勇壮な、行進曲調の校歌は名曲だと思います。これを歌うと、来年創立80周年を迎える、文京の長い歴史と日本の歩みの転変を知識としてではなく、感覚的に実感することができるのです。「負い持つ民」とは、当時の旧制中学校と言う存在が、紛れもないエリートであり、将来の日本を導く指導的立場に育つことを旧制三中の先輩たちは期待されていたのだと言うことが分かります。

次の、生徒歌は、先年亡くなられた、遊川益次先生が作詞・作曲された曲です。20期生ごろまで歌われていました。ゆったりとしたテンポでとても歌いやすく親しみの持てる歌です。昭和30年ごろに作られたと聞きますが、ほぼ四分音符で一オクターブ余りの狭い音階ですが、「めざめよ出でよ 新しき土よりおゝ我ら今ぞ呼ぶ 文京 文京」これも、まさに、空襲で、何もなくなった、三中校舎の廃墟となった校庭から、旧校舎が立ち上がり、日本が戦争の惨禍から立ち上がって行くときの、文京生の心と当時の日本人の心がオーバーラップして、胸に響きます。特に、新しい校名となった、「文京 文京」の最後のリフレインはとても気持ちがこもり、忘れられない名曲です。この「生徒歌」を、いつまでも歌い続けたいものです。校歌祭(文京高校)007

最後の、文京高校校歌は、昭和30年代に制定されました。作詞家の土岐善麿は石川啄木や若山牧水と交流も深く、日比谷高校の校歌の作詞の他、多数の都立高校や中学校、小学校の歌詞を歌詞を手掛けています。作曲家の平井康三郎は、小山台高校の校歌を作曲するなど多数の団体歌を作曲しています。特に、「富士も晴れたり、筑波も雲なし」と言うフレーズは、まだ、3階建ての建物も少なく、晴れた日には4階の屋上から、まさに、この歌詞の様な風景を望むことが出来、文京の周りの空が広かった時代を映し出しています。この、「文京」と言うフレーズは掛け声をかける時も、語尾の音感がきれいで、気持ちがスッキリとして好きな音です。

校歌祭で、同窓生や現役文京生と、高らかに3つの校歌を歌うことは、
自分の若き日を振り返るだけではなく、昭和の十年代から80年の歴史を感じ取るこ
とです。それは、内なる感情のタイムカプセルに身を委ねることでもあると思うのです。

皆さん、校歌祭に参加しましょう。そして、異なる世代の同窓生と貴重な校歌体験を共にしましょう。

19期 梶野茂男

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