平成24年7月6日、第4期C組の第55回目クラス会が、水道橋後楽園飯店で開かれました。出席者は12名、当初15名でしたが、急病によるドタキャンなどがあって少なくなりました。7月第1金曜日を定例日として毎年継続的に開催しています。今回で55回目の節目を迎えましたが、このところ15名程度の出席です。住所が判明している人が42名、そのうち逝去された方が昨年までに20名おりますので、十数名の出席なら上々、といってもよいかと考えています。ただ、私たちのクラスは、同年代の方々に較べて、やや死亡率が高いようなのが残念なことです。 私たちは戦後の丁度旧制から新制への切替へ時期に入学し、多くの人は、昭和21年からの3年間の併設中学と3年間の高校生活と計6年間、大塚の校舎が焼けて復旧するまで間借りしていた本郷の元町小学校で学んだメンバーです。 昭和27年3月の卒業からそう間がない時期にクラスの同窓会をスタートし、そして、今日まで休まず継続しているのは、多感な時期を長く共にしたこと、とりわけ、C組は数学の横山先生が5年間継続して担任だったこともあって、クラスの纏まりが良かったことが要因としてあげられると思っています。もとより幹事団の努力はいうまでもありません。 今ではその多くがクラス会の笑い話ですが、食糧事情が悪く午前中で授業が終わり、コッペパンを始めて食べて感激した物不足の戦後、家庭も学校も何かと苦労が多く、支えあい、助け合って生きて来た時代、友情を育みつつ学び、そして遊んだその頃がいろいろと懐かしく思い出されます。楽しい話題もあれば、苦い思い出もありますが、先生方には多々ご迷惑をお掛けしました。 クラス会の会場は、時に別の会場に移ったときもありますが、長い間「後楽園飯店」を会場としています。水道橋が思い出深い、ということでもありますが、当時、「後楽園球場」(勿論ドームが出来る前ですが)の周辺は今の遊園地あたりまで空き地で、小学校の隣の元町公園とともに、私たちの格好の遊び場になっていたからでもあります。後楽園で野球をやったと言えば聞こえがよいのですが、空き地で野球をしていましたがフェンスがないので、外野の野手の間を抜けたボールを延々と拾いに走ったことを覚えています。 平成25年「第56回クラス会」は、7月5日 後楽園飯店 で定例日に開催します。 定例日は、大部分が会社勤めでしたので、年度初めを避け、夏の旅行の前、ということで7月第1金曜日としています。クラス会はメンバーの殆どが仕事を離れた今もそのまま続けています。 卒業して61年、クラス会として56回目になりますが、本年末までにメンバーが全員、傘寿という節目の年を迎えます。クラス会が出来るだけ長く続けられるよう願っています。
文責 伊東 映二・福本 健次