五月晴れの「子どもの日」に巣鴨から西巣鴨にかけて名所、旧跡、史跡などを見てきました。9時半に江戸六地蔵の一つがある真性寺まえに集合しました。当初の予定の3日が大雨のために延期しての五月晴れです。まだ、朝が早いので人影も少なく開店準備をしている店が沢山ありました。
八つめ目鰻で有名な西村も開店準備中です。木彫りの仏像の展示をしばし見学して、お地蔵さまで有名な高岩寺につくと、はやくも「洗い観音」様をガーゼでなでている方達が行列を作っていました。でも、折り返しで3列ほどなのでそれほど長くなっていません。お地蔵さまの由来は、お地蔵さまの姿を刷った紙製のお札を飲むととげが抜けると言うご利益から信仰を集めてきたと言われているのですがいまでは「洗い観音」の方が人気なのは不思議な気がします。
お参り後に、脇から抜けると、かなり全国的に有名になった古葉奈屋というカレーうどんの店があります。安くて有名な三浦屋や、昔のカラオケの店、赤パンで有名なマルジの店などを見て山田さんの解説で先を急ぎます。モンスラって知っていますか?昔のモンペの形をしたスラックスのことだそうです。
ここ巣鴨の地蔵通りは「おばあちゃんの原宿」と呼ばれるほど高齢者向け商品で有名な商店街です。地下鉄三田線の巣鴨駅を降りて、お地蔵さまよりの出口から上りのエスカレーターに乗るとそのスピードの遅いこと遅いこと、普通のエスカレーターの2倍以上遅いと思います。全国的には駅前商店街はシャッター商店街化しているのにここは元気です。お金を持っているシルバー世代が闊歩しています。
なにせ、シルバーの苦手なものは階段です。しかし、地蔵通りには階段が殆どありません。しかも、通りにはちょっと腰を下ろせる椅子などが沢山あります。
余り書くと長くなるのではしょりますが、シルバー世代には大変居心地が良いところなのです。 参拝用の切り花を求めてから栄太郎の横から新中仙道を横切って總禅寺に向かいます。お線香を求めて墓地に案内してもらいます。そうです。私たちは、あの手塚治氏のお墓参りに足を伸ばしたのです。いま、NHKで日曜日に放映中の「陽だまりの樹」は治氏のご先祖様をモデルにしたと言われている、治氏の遺作です。こうして、お参りして見ると、幕末はついほんの少し前のことに思えて来ます。
先ほど、「おばあちゃんの原宿」と言った地蔵通りは、改めて言うまでもなく、江戸四街道(東海道、甲州街道、日光街道)の一つ旧中仙道の街道そのものなのです。ドラえもんの「時代メガネ」のように、少し、想像力をはたらかせて見れば大名行列がここを行きかっていたのです。
庚申塚に来て私たちは偶然、猿田彦大神の境内から、「すがもん」らのゆるキャラが出てくる場面に遭遇しました。 折戸通りとの交差点を先に行くと都電の踏切が下がっていました。もし、運が良ければ、この庚申塚の停留所から、旗を掲げたはとバスのガイドさんに連れられたシルバー集団に出会うことができます。なにしろ、ここは柴又帝釈天と浅草経由で三ノ輪橋から都電(都内唯一)にのってお地蔵さま迄の東京レトロコースに入っているのですから。
踏切を渡ってすぐに左に折れてしばらく進むと、「明治女学校」の碑が立っています。ここの卒業生で有名なのは、新宿中村屋の創業者の相馬黒光(こっこう)、自由学園創始者の羽仁もと子、文学者の野上弥生子などです。巣鴨に山手線の駅が開業する前の話ですから、この中仙道を紺の袴に矢絣を着た彼女達がさっそうと時代の風を肩で切って歩いていた風景が浮かんできます。大日如来坐像を拝んで、再び中仙道に戻り、山田さんの紹介で美味しい手打ち蕎麦の店で昼ごはんをすませました。七席しかないので昼時は早めに行かないと有りつけません。
最後に向かったのが掘割のある千川上水公園です。そこにたどり着く前には、有名な種屋(東京種苗店)があります。この中仙道は、かつて、種屋街道とも呼ばれ、滝野川牛蒡を始めとして優秀な種を求めて郷里へ帰る篤農家たちが立ち寄ったことでしょう。
明治通りは別名環状五号線ともよばれ、大正時代から昭和の初めにつくられた比較的新しい車専用道路です。この旧中仙道との交差点付近には、街道沿いに千川上水が流れており、六義園経由で江戸市中まで水道が通じていました。幕末の1864年(元治元年)に幕府は石神井川沿いに反射炉と錐台を建設するために水力源を求めて千川上水に分水堰を作りましたが、建設中に幕末を迎えてしまいます。その後は明治3年に鹿島万平が跡地に鹿島紡績所をつくり明治20年まで創業したと言われています。
掘割の地名はその事績に由来し、いまでも、千川上水公園に碑が立っており、明治通りを挟んで反対側には分水堰の石柱がそのことを今に伝えていますがバス停の名前の由来を知る人は少なくなって来ています。(この分水跡が豊島区と北区の区界の一部になっています)
私たちは、にわか仕込みの巣鴨界隈散策を終えて、西巣鴨で散策後の渇いた喉を潤して明るいうちに家路につきました。
19期 梶野茂男